北陸大学教職員組合ニュース201号(2003.12.8発行)



以下のような投書が組合執行部にありました。共感を覚える組合員も多いと思われますので掲載いたします。



北陸大学トップは今こそ総退陣を!



 ロースクールが文部科学省によって不認可となった。『北陸中日新聞』(1122日)では、「金大認可 北陸大は不可」が一面トップを飾った。66校が認可され、2校が保留、4校が不可という結果であった。

 北陸大学の発展を願う一教員としてまことに残念である。

 受験本番をひかえたこの時期、不認可のニュースは、受験生獲得で鎬を削っている大学間競争において、決定的なダメージとなった。それは直ちに新学部「未来創造学部」の受験者数にひびいてくると思われる。

 この結果を謙虚に受け止め、原因を徹底的に解明し、その反省の上に立った将来の北陸大学像をつくっていかなければ、北陸大学に未来はない。そして、未来とは自ら創造するものであることは、新学部「未来創造学部」の理念でもあった。自らの大学の未来像を造れない者が、どうして「未来創造学部」の看板を掲げ得ようか。

 さて、不認可とされた主な理由は以下の3点であった。

 @教育課程の編成が設置目的と一貫性・整合性がない。

 A基礎科目が過大

 B教員組織について、行政法の専任がいない。年齢構成が偏りすぎ(高齢者が多い)

 

 @の教育課程編成の不備は、教育のプロ集団であるはずの教員にその能力がないということを、公的に熔印されてしまったことを意味する。従って、これは教育課程編成にかかわった教員だけの問題ではなく、北陸大学自体が文部科学省のいうところの「大学の水準」に達していないことを意味する。

 教育課程編成に係わった教員の罪は万死に値する。

「未来創造学部」に教職課程がないのも、おそらく教職課程をカリキユラムのなかに、編成することができなかったのであろう。新学部の教育課程をつくった人達にその能力がなかったというのが、真実にちかいのではなかろうか。このように、大学あるいは大学院の水準をクリアーする教育課程を自ら造ることのできない大学とは、もはや大学とは言えない。Aも同様である。

 Bについては、法人側の責任もまた大きいと言わざるをえない。聞くところによれば、本学法学部に所属する教員で、ロースクールを担当する予定の教員は、全員、教員審査ではねられたという。ロースクール設置という事由で、特別に昇任させた教員もことごとく不可であったようだ(この昇任については、我々は結果を知らされたのみで、本学の昇任基準のいずれに該当するかは説明を受けていない。したがって誤りがあるかも知れない、法人側にぜひ教えていただきたい)。

 なるほど、文部科学省の側がこうした教員審査の基準を最初あいまいにし、後になって厳しいものを提示したため、本学のみならず、多くの大学が教員の差し替えを迫られるという事態になったという。しかし、いやしくも大学院であるかぎり、研究者としての教歴もほとんどなく、また教歴はあるが業績のない教員を、法人のおぼえがいいというただその一点でロースクール担当にするというのはいかにも暴挙であり、学問に対する冒涜でもあって、こうした決定をした学長及び法人側の責任はまことに重いと言わざるを得ない。

そもそも、学長や人事委員会委員長の昇任審査がおよそデタラメであることが、今回の件ではっきりと示された。法学部のなかに優秀な教員がいるにもかかわらず、その人を昇任させず、ロースクールの担当にも登載せず、一方、教歴も業績も不十分な人を登載してはねられているのである。一体、北陸大学の昇任基準そのものの信頼性はどこにあるのか。

 これでは、いままでの本学の昇任もデタラメだと思われてしまい、本学そのものの信用が失墜してしまう。そして、本学の名誉を毀損し、信用を失墜させた者はその地位に応じて責任を取らなければならない。地位の高い(したがって収入の多い)者ほど、責任が重いのは言うまでもない。 トップの総退陣を要求する所以である。

 そして、もしロースクールゆえに昇任したとすれば、これが不可となったいま、昇任そのものを辞退するのが、研究者としてのモラルではないのか。



 さて、学長及び中川専務は、今回の不認可を受けて、次のように語っている。

 「この目的のもと、学内の多くの方々の情熱と力が結集され、また、学外の諸先生方との絆が生まれたことは、本学にとって大きな財産であります。」

 しかし、さきに述べたように、本当に学内の力を結集したと言えるのであろうか。

学会や他大学のロースクールにかかわっている教員を通じて、様々な情報が入ってきたが、これらの情報は本学ではまったく顧みられなかった。

 どこの大学でも、法学部はもとより全学挙げての協力体制の下、必死でロースクール構築に向けて一丸となって取り組んでいるのに、本学では、設立に手を挙げた当初から、一貫して、法人・学長・法学部長をはじめとするごく一部の教員のみがかかわり、ロースクールに関する一切の情報を、学内の法学部教員にも全く知らせなった。

 法学部の教員のなかには、学会や様々なルートを通じて、多くの情報に通じている教員も少なからずいたが、そうした教員は、組合員である、法人に非協力的などといった理由で、はじめから排除されていたのである。

 日本刀事件以来、法人がしてきたことは、学内の力の結集ではなく、組合員や法人に批判的な教職員の排除ではなかったか。こうした選別による排除の論理は、ボーナスの査定や特別研究助成の採否など、あらゆる部面で貫徹されている。

 大学間競争の激化によって、どこの大学においても、学内の力を結集し、全員がそれぞれのポジションで知恵を出し、汗をかいて必死で頑張っているというのに、本学の学長は、学長選挙で自分に投票しなかった教員を徹底的に排除し、上述のとおりあらゆる部面で差をつけている。その怨念たるや死んでも忘れまいとの鬼気せまるものがある。

 ところで、今回の件でよくわからないのは、文部科学省から具体的な指示や示唆などの「指導」があったにもかかわらず、それに従わなかった(ほとんど無視した)点である。北陸大学は過去に様々な「事件」があり、当時の文部省による行政指導などもあったが、法人は一貫してそれを「軽視」してきた過去がある。大物議員のバックアップもあるし、認可されないはずはないとタカをくくっていたのであろうか。

噂では、法学部を廃止して法科大学院をつくろうとする法人の姿勢に対して、当初から文部科学省筋は、提出してもむずかしいとの「態度」を示唆していたともいわれている。この際、設立申請から不認可にいたるすべての経過を公表し、徹底的な検証が必要である。そのことを通じてのみ本学の未来が拓かれるのである。まさに、新学部「未来創造学部」の理念を自ら実践するのである。そして、本学のトップは、この際総退陣することで、その責任をとられることが、本学再生の第一歩であると考える。

本学の未来に死活的な影響を与えるであろう今回の不認可に対して、経営トップが責任をとらなければ、彼らはいつ責任をとるのであろうか。高額の給与は責任の重さに比例する。高額給与はほしいが責任はとらないでは、そもそもトップの資格がない。

強く退陣を求める所以である。

法学部・外国語学部を廃止して、減員した180人の学生定員をそのまま薬学部の増員分とするやり方は、薬学部の将来にとっても大きな負担となるのは明らかである。なるほど薬学部の人気は、今年もまだ相当なものがあり、新学部に、たとえ定員割れという事態が発生しても なお大学全体の収益は大幅な増加となることは間違いない。

しかし、新設薬学部の増加、薬学部6年制の導入など、薬学部をめぐる状況は大きく変化している。ゆえに、2年後3年後、さらには増員して入学した学生が国家試験を受けるとき、結果は惨憺たるものとなっているのではなかろうか。

今ほど、目先の「金儲け」ではなく、大学の社会的使命を深く認識し、21世紀をきり拓く理念と情熱をもった大学人が、強く求められているときはない。