北陸大学教職員組合ニュース203号(2003.12.12発行)



早急に理事会の刷新を!!



外国語学部・法学部廃止理由と問題の所在

 現在、来年度からスタートする未来創造学部の募集が行われている。そして、薬学部も「量的拡大をもって質的発展・向上を図る」というコピーのもと、定員460名での学生募集を行っている。はたして、未来創造学部はうまくいくのだろうか。薬学部は、460名の学生の教育に対応できるのだろうか。私たちは多くの懸念を抱いている。

 未来創造学部は、外国語学部と法学部とを廃止して一つの学部として、新たに作られる学部である。では、外国語学部と法学部とを廃止するという決定に至るまでの手続きは公正なものであったか。薬学部の定員を180名増やして460名とする極端なまでの増員は本当に審議を尽くされての結果なのか。いずれも「否!」である。

 河島学長は、外国語学部と法学部の廃止の理由を明快な言葉で語ったことは一度もないが、200311日発行の法人広報誌Withには以下のようにある。

「学校法人は昨年一月の理事会において、各学部・学科の教育改革への具体的取り組みとその成果などについて充分に判断した上で同年12月までに学部・学科の方向性を決断することを決定し、これを教職員各位にお知らせしました。昨年は、様々な工夫や努力がなされ、教育に情熱を注ぐ傾向も増しましたが、外国語学部・法学部ではその成果や志願者に回復の兆しが現れているとは残念ながら言える状況ではありません。ピーク時に対する昨春の志願者の割合は外国語学部6.4%、法学部6.2%で、今年度はより厳しい見通しです。」

ここでは二つのことが言われていると思われる。一つは「成果が上がらなかった」ということである。この文章では「成果」の何たるかは全く触れずに、「成果」が上がらなかったという意味のことを言おうとしている。極めて卑怯な文章である。しかし、そのことを脇に置いても、大学教育において「成果」が上がったかどうかということを,新カリキュラム導入後,わずか1年間見ただけで「成果」が上がらなかったと決め付けるのは心得違いも甚だしい。大学のカリキュラムは4年で一巡する。最低でも3年ぐらいは見なければ、そのカリキュラムの「成果」云々はできない。それを1年もしないうちに「成果が上らなかった」と決め付けて学部廃止の理由とするのがいかに理不尽であるかは言を待たない。言語道断である。

もう一つ、上の文章で言おうとしていることは、「志願者が増えていないので、外国語学部・法学部を廃止する」ということだろう。挙げられている数字は、バブルの頂点の数字で、現状をできる限り悪く見せようとしたものである。大学の経営から見れば、定員割れがどの程度であるかの方が重要である。外国語学部も法学部も8割前後の定員を確保していて、それは近隣の文系の私立大学よりはるかに良い数字である。6割というところもある。この8割前後の定員充足率が大学の財政に大きな負担となっているか――そんなことはない。2003829日の団交で理事会側は財政状態に問題がないことを明言している。

外国語学部・法学部を廃止するに当たって理事会が挙げている二つの理由は、要するに言い掛かりである。教育現場と財政の現状を無視した手前勝手な言い分にすぎない。



外国語学部・法学部教員の学部改革と理事会の教授会無視

外国語学部では、2001年に新しいカリキュラムを作り、それが2002年から導入された。理事会の改革の要請を受けてのことであった。進級基準を厳しくし、学外の、社会的に認められた語学資格試験で、ある一定の水準を達成しなければ卒業できないものとした。第三者評価を先取りして、語学力の底上げを図ろうとしたものである。また、理事会には優秀な学生のための特待生制度の充実を要請し、その結果、授業料の免除などの制度が作られた。英米語学科の教員も中国語学科の教員も、それまでにも増して、授業の空き時間を利用して総力で学生の語学の資格試験対策などに当たってきた。これらを理事会は一切無視している。それは当時の林学部長がまとめた外国語学部独自の新たな改革案に対しても同じである。河島学長は学部案の受け取りを拒否した。

法学部においても事情は同様である。法学部でも、特に政治学科の受験生の減少を受けて、学部内に改革のための検討委員会が作られた。政治学科の教員のみならず法律学科の教員も参加した委員会では12回の検討を重ねた。そして改革案を出し、教授会も通り、学長に出された。ところが、それが、全く実行されない。どうなっているのかの説明も皆無であった。教員が現場での経験を生かして、時間をかけて練り上げたものが完全に無視された。そして、その改革案を実行させずに、今回の廃止宣言である。

 片方では改革が始まったばかりのところをばっさりとやり、もう片方では改革すらさせずばっさりとやる――実にすさまじいやり方である。



薬学部定員増の決定と教授会無視

教授会無視は薬学部においても同時進行である.北陸大学の屋台骨とも言うべき薬学部の定員増の決定に当たって、理事会は教授会に対してどういう態度を取ったか。全くの事後通告であった。現在の定員を180名増やして460名にするというのは1.6倍にするということであるが、実は3年前に220名から60名増やして280名としたばかりであることを考えれば実際は2.1倍になる。はたして、それだけの数の学生を受け入れることは薬学部の現状に照らして可能なのか。実習教育はどうなるのか。外部機関に依頼する病院実習は大丈夫なのか。国試合格率をどのようにして維持できるのか。新設薬学部乱立の状況の中で,薬学部が生き残る具体策があるのか。問題は山積している。しかし、理事会は現場を熟知している教員に全く諮ることなしに決定事項として定員増を薬学部教授会に下ろしてきた。なぜこのような大幅な定員増の是非を教授会に諮らなかったのか。神経を疑わざるをえない。しかも、河島学長自身が20021118日発行のWith誌で「早晩、薬剤師の需給のバランスは現状のような好調を維持することは困難となる」と述べている.今回の増員の方針には何ら整合性がなく,自己矛盾の所産を学長は現場に押し付けただけである.

外国語学部、法学部の廃止、そして未来創造学部の設置決定、薬学部の定員増加までの一連の過程で法人理事会に一貫しているのは、徹底した教授会無視である。これだけの重大事を行うに当たって、これだけ教員をないがしろにする大学が日本中のどこにあるだろう。恐らくどこにもない。



新学部構想の真の目的

外国語学部、法学部の入学志願者減少に対する当面の対応策としては,両学部縮小も選択肢の一つになり得た筈である.大学の将来像を教授会でオープンに議論することなく,またこの厳しい環境の中で,学生募集時期の大幅な遅れというハンデを承知で,なぜ新学部でなければならなかったのか?

河島学長が「ブレインストーミング」なるものを始めたのが昨年10月である。本年3月には外国語学部長を任命制とする決定がなされた。新学部のカリキュラムは4月以降,学長,学長補佐,外国語学部長,法学部長,すべて理事会による選抜メンバーのみで、全くの秘密裏に作成された。カリキュラムが公開されたのが820日である。その間、外国語学部、法学部の一般の教員にはカリキュラムについて何の相談もなかった。

発表された新学部のカリキュラムは,それを一瞥しただけで,河島学長が闇の中でカリキュラム作成を行ってきた理由を疑いようもなく示すものであった。そのカリキュラムからは、組合員の教員の担当関連科目が極力排除されているのである。典型的な例は、ドイツ語とスペイン語だろう。新学部では、英語を主専攻とする学生が多数いるにもかかわらず、ヨーロッパ系の言語科目は全くない。異常としか言いようがない。現在外国語学部では、ヨーロッパ系の言語はフランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語と学ぶことができるのを考えれば、これはカリキュラムの改悪と言っていい。なぜ、このような改悪をあえて行うか――カリキュラムを道具として組合員を排除するためである。なぜ既存両学部縮小でなく、「新」学部なのか?改悪カリキュラムを秘密裏に作るためである。なぜ教授会無視なのか?オープンにできない陰湿な謀だからである。

理事会は、組合員の排除という目的を最優先させて、劣悪なカリキュラムを作成したのである。しかも、河島学長が新学部のカリキュラムを発表したのは文科省へ最終的なものを提出する直前であった。教員の意見を入れて変更していくという時間を意図的に取れないようにした上で、「文科省の内諾」を盾にして、学長は一切の変更を拒否した。組合のみならず、教員から様々な修正案が出されたにもかかわらず、である。この時間切れを計算した上で物事を強行するという姑息な手法は,現理事会の常套手段になっている。教員の意見を生かしてより優れた、魅力的なカリキュラムにしたいという態度は寸毫もなかった。理事会にとっては批判勢力たる組合員の排除こそ最優先課題なのだから。



学ぶ側,学生の立場を無視

上のようなやり方にはさらに大きな問題が隠れている。すなわち学生の無視である。新学部のカリキュラムは理事会の、理事会による、理事会のためのカリキュラムであって、理事会の意図を実現する手段でしかない。組合員排除ということに執着する余り、学生に対して最善のカリキュラムを提供するという、大学として当然の義務をないがしろにしているのである。学生の視点に立ったとき、これがいかに重要な問題であるかは明白である。これは北陸大学にとって、そして誰よりも学生にとって悲劇と言っていいだろう。理事長も学長も学生の最も大切な学びの内容たるカリキュラムを別目的の手段に使って憚らないのである。口では学生を大事にするということをさんざん吹聴しながら、他方では学生をないがしろにすることを少しも厭わない。いかにも無惨であり、悲劇としか言いようがない。しかし、悲劇はそこに止まらない。



授業担当における組合員排除

理事会は、新学部の創設に当たり、まず、総合教育センターなるものを作り、そこに組合員の大部分を配属しようとしている。3年後には解雇になる者がいるということを宣言した上で配属案を出している。新学部配属と総合教育センター配属については,その選考基準を文書で明示することを再三要求したが,学長は拒否している。そして、新学部の28名前後の教員のうち,組合員は5名である.30名の組合員のうち25名は総合教育センターへの配属となる。これは組合員であることを理由にした差別行為で明らかな不当労働行為であり、違法行為である。

だが、理事会の組合攻撃はそこで止まらない。学長らは新学部の授業担当教員を決めるに当たって、組合員の多数に一切の授業を担当させないことにしたのである。総合教育センター配属になった組合員25名中,18名に新学部の授業を担当させないのである。この18名は外国語学部・法学部での教育経験が最低810年はあり、半数は創設時から学部教育を支えてきた教員である。非組合員の教員は全員が新学部の授業を担当するが、一方,組合員の教員では,7割以上の教員に授業担当がない。そして、理事会は3年後には授業担当のない教員は解雇する旨宣言しているのである。つまり、総合教育センターを清算事業団として利用するというのである。陋劣としか言いようがない。

ここには組合員の排除ということだけでなく、もう一つ重大な問題がある。それは、現在の外国語学部・法学部の学生に対する配慮がない、ということである。外国語学部・法学部の教授会を廃し,また総合教育センターに配属になった教員は、「アドバイザー活動などの学生のケアはやってもらわなくていい」というのが河島学長の説明である。しかし、それでいいのか。たとえば、アドバイザー活動には現在ほとんど全員の教員で当たっている。それでもまだまだ課題は多い。それなのに、その教員の3分の2を排除して、残りの教員でやるというのが学長の方針である。しかも立ち上げたばかりの新学部生のアドバイザーをしながらの話である。それで現在の学生に対して、大学は本当に責任を果たせるのか。大学が学生に対して本当に責任を果たそうとするなら、外国語学部・法学部は教授会を2年でも3年でも維持し、きめ細かな学生指導を行っていくことが当然である。それが大学人としての良識だろう。ところが、それはやらない。いや、させない。現理事会に対して批判的態度を取る組合員を排除しなければならないからである。学生のことは脇に置いてでも、整理解雇に移行しやすい形態の総合教育センターを作ることが理事会にとっては最優先だからである。ここでも学生無視である。

このような卑劣にして愚劣な運営がいかに大学にとって致命的であるかは多言を要しない。理事長・学長をはじめとする現在の経営陣は全くの経営者失格、大学人失格である。



理事会の刷新―明日の北陸大学のために

法科大学院の不認可で北陸大学は天下に恥を曝し、置かれた環境は以前にも増して厳しくなっている。そのようなときに、教授会無視、学生軽視、組合敵視の大学運営に理事会が執着すればするほど、大学の未来は暗くなるばかりである。現理事会は早急に刷新されなければならない。遅くなり過ぎないうちに。