北陸大学教職員組合ニュース268(2008.2.22発行)



和解勧告書の誠実な履行を!




河島前学長の事実を歪曲した説明

 2199時、薬学部全教員と教育能力開発センターの薬学部兼担教員が招集され,教員会が開催された。事前に議題は公開されていなかったが,大屋敷学長の挨拶に続いて,河島前学長が中労委における和解に関する報告をした。この報告は和解条項に沿って行われるべきものであったが,教員に誤解を植え付けかねない内容であった。

 前学長は,和解内容について「田端,荒川の6年制薬学部授業を担当させるには各々の論文の提出が必要な条件であり,和解条項がそうなっている」と発言した。この点に関し,事件当事者である教員が「和解条項では授業担当と論文提出は独立した条項である」旨の指摘をした。この指摘に対し、前学長は「まず論文を作成し、それをもって授業担当を考える」と言った趣旨の発言を何度も繰り返した。

しかし、前学長の発言が誤りであることは、和解条項文、条項の順序から言っても自明である。和解勧告書原文は、すでに「組合ニュース」268号で提示したが、それぞれの条項は、条項1に示された和解の精神に基づき双方が遵守しなければならない義務が列記されており、双方がその条項を遵守すれば何も問題にならないはずである。当然、組合は、薬学部関係全教員を招集した公式報告の場での事実に反する説明を看過することはできず、理事会による和解内容の歪曲を正すことを求めて、中央労働委員会に上申書を提出した。

 

大屋敷学長の事実を歪曲した説明

 228朝から薬学部教授会が開催されたその会議で、報告事項として平成20年度「基礎演習」科目の授業方法と、その中で実施される「読書指導」の実施方法が示されたその際に担当教員は「6年制授業担当(基礎演習)薬学部教授21名」とされ、佐倉教授(組合員)のみ名前はなかった。

これに対して佐倉教授が,和解で6年制に復帰することになっている自分の名前がないのはどうしてかという趣旨の質問をしたところ,大屋敷学長は河島前学長の説明よりもさらに誤った説明を行った。

大屋敷学長の説明はおよそ以下のようであった。

@ 6年制担当教員と6年制「授業」担当教員は分けて考えている。

A 6年制復帰には213月までに1報という条件があった。この条件をクリアーしなければ復帰はない。(仮に条件としても佐倉には論文作成の条件は付されていない、という意見に対しても)条件になっている。よく読んでいただきたい、と答えた。

B(「可及的速やかに」…という質問に対して)前学長と話をしてくれ、と答えた。

(さらに質疑が核心に触れそうになると)この問題はここで話すべきことではない、と話を打ち切った。

 この会議終了後、その日の午後になって、学長は佐倉組合員に対し、佐倉教授の授業復帰には条件がついてなかった、と個人的に訂正を伝えてきた。しかし、これは個人的に訂正すればすむ話ではない。学長は、公式の場で、和解の核心に関してまったく間違った情報を流布したのだ。「条件」云々と「6年制担当教員と6年制授業担当教員は分けて考えているについては依然として撤回がなかった。しかし、「条件云々はもとより、「6年制薬学部担当教員」と「6年制薬学部授業担当教員」という区別が差別を意味するとしたら、大屋敷学長の説明が和解条項を誤解ないしは歪曲していることは改めて言及するまでもない。これら和解条項に関わる誤った言動及び差別的扱いをそのままにするならば、教学の代表である学長としてきわめて無責任である。


中労委の明解な説明

 教職員組合からの上申に対して、中労委は明解に反応した。問題の「条件」について、34日付で双方の代理人宛に以下のように文書回答があった。

「和解は、各条項が一つのまとまりを持った全体として理解されるもので、各条項はそれぞれ和解成立にとり欠かすことのできない基本的な要素として、相互にその趣旨に沿って責務を果たさなければならないものです。本和解では、第3項と第4項は大学に先履行の責務がある一方、第5項は組合の責務で、荒川、田端の両氏は平成21年3月末日までに1報の研究業績を挙げることとされています。したがって、授業担当について言えば、大学としては、荒川、田端両氏の研究業績を待つまでもなく、両氏を平成21年4月までの可及的速やかな時期に6年制薬学部の授業担当とすることが求められますが、仮に両氏が平成21年3月末日までに1報の研究業績を挙げることがなければ、大学として相応の措置を採ることもやむを得ないものと理解されるところです。」(下線は編集部)

 これは、教職員組合の理解と基本的に同じである。組合は、条項5を「特別扱い」にもかかわらず、忍びがたきを忍び、苦渋の選択として受け入れた。しかし、組合側の果たさなければならない遵守義務ではあるが、授業担当決定の前提「条件」ではない。


今回の二つの誤った説明から露呈するのは、端的に、和解に対する理事会の消極的ないしは否定的姿勢である。組合員3名の復帰を認めるよりは、何かと理由をつけて覆したいという党派的意図が見え隠れしている。我々は、和解調印した以上それが本心とは思いたくないが、県労委では基本的争点の一つであった組合敵視が、依然として色濃く残っていると判断せざるを得ない。しかし、理事会による組合敵視は、教職員は組合員ならずとも誰一人望んでいないはずだ。厳しい入学志願者状況の中で、今回の和解がもたらすものを期待して見守っているに違いない。加えて、組合敵視は和解の精神(「組合ニュース」265号及び268)にも反する。我々は、絶大な権力を持つ理事会が、和解勧告書の内容を歪めることなく、まさに他者の「心の痛み」に対する共感を呼び起こし、個々の条項に盛られた義務を誠実に履行することを求める。さもなければ、学園に信頼と希望が芽生えることは決してあり得ないであろう。