北陸大学教職員組合ニュース273(2008.7.3発行)



労働強化の中、賞与20%減額で暫定支給


平成20年度第3回団交が72日(水)18時から、「賞与」を主題に行われましたので、概要を報告します(第2回団交の主要テーマは後日報告します)。


1)前日の夜に提案し、翌日の団交実施を迫る当局の非常識: 組合は624日に団交開催を申し入れた。その前日の第2回団交では「2008年度教職員組合要求事項(425日提出)」に対する具体的な回答がなく、交渉に必要な資料提示の再要求も行った。 大学当局から6301830分に、「明日(71日)に団交を開催したい」と書記長に電話連絡があった。 組合は、兼ねてから時間的余裕を持って連絡して欲しいと要望しているにもかかわらず、前日にいきなり翌日開催を通知するというのは非常識であることを理由に開催日変更を主張し、2日の開催になったものである。

2)団交に先立つ学長説明会−当局に交渉の意志無し: 72日、1710分から、太陽が丘2号棟402教室において、”特例措置について”の説明会が行われ、学長から、 教育職員の「賞与」は昨年より減額して支給することが述べられた。 なお、 同様の学長説明会は薬学部では73日、1715分から行われ、 席上教員の質問に対して、学長は「賞与は交渉によって決めるものではなく、(どのようにするかは)理事会が宣言すれば済むことであると考えている」と発言した。

 団交の席上では、経営は夏季「賞与」を“賞与ではなく特例のもの”として昨年の20%減額で支給すること、支給日が74日であることを口頭で表明した。すでに交渉前に支給日や支給額が決定されていたことは明白で、組合の要求した資料の用意もなく、支給額と支給日の変更など交渉の意志はなかった。組合は賞与が年金をはじめ様々なところに波及する生活給であることを主張して、法的根拠の明確でない支給については断固抗議した。

3)賞与20%減額の理由、根拠の説明無し: 組合は支給額が昨年の夏季賞与(それも一昨年から0.2か月分減額されている)の80%となる理由、算出根拠の説明を求めたが、資料の提示は全くなく、根拠の説明もなかった。

4)組合との妥結無し、暫定支給である: 425日に提出した「2008年度教職員組合要求事項」に記載のとおり、組合は夏季賞与2.5か月分を要求した。 経営の主張とは隔たりが大きく、今回の支給が「暫定的な支給」であることを双方が認めた。

5)交渉を継続、次回団交で新資料を提示した交渉を約束: 双方の隔たりを埋める賞与交渉はこれからである。暫定支給後に、早急に団交を開くことに経営も同意した。経営は新しい資料を提示する用意もなく翌3日に再交渉することを提案してきたが、組合は、組合が既に要求している諸資料に基づく具体的な交渉が欠かせないこと、何の資料もなく、志願者数の減少の危機感を抽象的に語るのみでは団交が時間のムダであることを主張した。結局、経営は新資料をできるだけ早く準備した上で交渉を継続することに同意したが、時期の確約は避けた。


組合は夏季賞与以前に給与交渉を妥結することを要求していましたが、未だ提案さえありません。 労働強化のなかで、これ以上の待遇の劣悪化は許されません。組合の要求が切実なものであることは経営も認めています。経営の誠実な交渉を期待しています。


問われるトップの資質

 6月に北元理事長(他に大屋敷学長、河島教育担当理事、中川専務理事が臨席)が教員をグループごとに分けて面談を行った。もっとも面談とは名ばかりで、一方的に訓辞を行う独演会であったのはいつものことであった。グループごとに少しずつ話を変えていたようではあるが、面談の主旨をなしたのは以下の主張であった。 「薬学部教員は過去に薬学ゼミナールに国家試験対策を丸投げした。これは教育放棄である。このときは経済的にも6千万円余りの損失を被った。こういう教員の意識はあるまじきことで変えなければならない。」

 最近着任した教員以外は誰もがそれを聞いてこう思ったはずである。

「事実と違うじゃないか。 でも、それをここで指摘しても権力を誇示した持論で押さえつけられるだけで、後で意趣返しに遭うのが関の山。まあ黙っていよう」と。


 その教育放棄と理事長が主張している事件は事実誤認であるのだが話は2004年(平成16年)に遡る。


 2004年度の4年次生教育に関しては、例年どおりのやり方に改善を加えた国家試験対策演習を行うという国試対策小委員会(当時は薬学部教務委員会の下部組織であった)の方針の下に、 基礎薬学系学科目担当の教員(基礎薬学部会)は、 6月から行う予定であった演習の内容を検討していた。 例えば、使用する教科書として、 各科目の系ごとに教員達が自由に、予備校が発行している問題集・参考書を検討しており、 基礎薬学部会では、 通常ならば日本医薬アカデミーの発行する 「黒本」を使用する予定であった。 「黒本」は、長期間、 基礎薬学部会が使用してきた教材であり、 その間、 本学教員は本書の訂正、加筆を行って育んできた実績がある。 また、4年次留年生については前期に卒業試験を実施し、その合格者には後期は自分の選んだ国家試験予備校に行くか、もしくは北陸大学での演習を受講するよう指導してきたことを、その年度も踏襲することが学部内で確認されていた。 演習担当の教員配置もすでに決定していた。

 しかしながら、 62日、河島学長(当時)から、理事長以外の常勤理事達と事務員および薬学教員が集められて薬剤師国家試験対策説明会が開かれ、それまでの国家試験対策に関する決定事項が白紙撤回されたのである(そのとき配付された資料は末尾に添付)。

 そこでは、 河島学長が「トップダウンの決定事項である」と前置きし、 4年次生の国家試験対策を従来とは大きく変更して、国試対策センター(このとき河島学長が自らセンター長に就任した)がイニシャチブを執ること、教科書は予備校である薬学ゼミナール発行の「青本」を使用すること、 4年次通常生に対する前期演習は行わないこと、後期演習は薬学ゼミナール講師も担当すること(成績上位半数対象。成績下位半数は教員が担当)4年次留年生の教育は薬学ゼミナール八王子教室に任せてそこで行うこと、などが伝えられた(配付資料の文言は明確にトップダウンであることを示している)。

 これを受けて、その直後の第4回薬学部教授会(200467日開催)では河島学長臨席の下、その実施計画が了承されるに至った。 この段階で多くの教員は、前期に計画した基礎薬学系演習を削るべきではない、教材に注ぎ込んできた労力が徒労と化す、 業者に学生を預けるのは適当ではない、 あるいは、特定業者との癒着はよくない、と考えて難色を示していたものの、理事長の意向であろうから仕方がないとの認識を持っていた。

 ところが、20048月に理事会が教員を数名のグループに分けて、グループ毎に面談を行った際に疑惑が生まれたのである。北元理事長は、「私は薬学ゼミナールの利用には反対だ。だからこれは現在ペンディングにしてある。外部の業者に本学学生の教育を任せるとは、教員の怠慢・責任放棄である。これにかかる経費は当初組んだ予算を6千万円も上回る。君たち教員が望んで決めたことだろう。一体誰がこれを負担するべきか」と教員達に尋ねた。 さらに、理事長は、「国家試験対策に業者を導入する費用は、教員の給与から差し引くべきだ」と主張した。

 多くの教員は、薬学ゼミナール導入の件に関しては北元理事長に事実経緯の正確な情報が伝わっていないのではないか、また特定業者と提携するにはそれなりの、あるいは公表できない理由があったのではないか、との疑念を抱いたのである。

 この国家試験対策経費に関する件は第14回薬学部教授会(20041025日開催)でも報告されているが、 議事録には「河島学長から、今年度の薬剤師国家試験対策等について、理事会に対し、第89回薬剤師国家試験の結果の反省、今年度薬学部分の特別研究費の辞退、不足する部分を教員が負担することなどを説明したとの報告がなされた」と記載してあった。第15回薬学部教授会で佐倉委員長がこの記載に異議を唱え、第16回薬学部教授会で「河島学長から、……不足する部分を教員が負担することなどの案を説明したとの報告がなされた」に訂正された。

 結果的には、この年および翌2005年度には、特別研究費は教員に分配されず、薬学ゼミナールに支払う教育費に転用されたのである。


 以上が事実経過なのであるが、未だに理事長は事実とは異なることを確信し、それに基づいて方針・施策決定をしているのである。組織の命運の鍵を握る人物が判断を誤り、間違った方向に向かって行くのは誠に恐ろしいことである。