北陸大学教職員組合ニュース第113号(1998.3.27発行)

 

またもや、説得力のない文書!

佐々木学長が学生父母に送付する

 先日、学生父母から組合への連絡で、今回の学生の「理事長退陣要求」署名運動に関して、佐々木学長から父母宛に文書を送付していた(3月20日付)ことがわかりました。

 組合はこの文書を入手して読んでみましたが、『学校法人』と『大学』を混同していることなど、『大学』の学長が書かれたとは思えない内容です。取り上げるまでもないと思いましたが、組合員(教員)から論評をいただきましたので、掲載いたします。

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佐々木学長名による「ご父母の皆様へ」と題する文書について

 心ある学生諸君が勇気を奮って立ち上がってから1ヶ月余が過ぎた。彼らの行動に対し、法人理事会は、これまで通り真面目な対応をみせることもなく時を移してきたが、ここに至って状況が変り始めた。有志学生諸君が、休暇中の在学生とその父母に理解と同意を求める文書を郵送したのである。そしてこれまた予想通り、佐々木学長から、彼らの行動を否定するための文書が郵送された。

 何が予想通りなのか。学長文書は、反論の構成、個々の論旨、どれをとっても教職員組合ニュースや「教職員有志の会」会報に対する反応と全く同じく、「理事会の体制が全て正しく、それに異を唱えるものは全て誤りである」という独善を通り越した姿勢を貫いていることである。

 まず、「学生有志の会」の『責任の所在や実態が全く明らかにされていない』として、存在そのものを否定する。そして学生諸君の主張の全体について、『故意に事実を歪曲し』であるとか、『一方的理事会批判』といった抽象的な表現を用いて酷評することで、理事会の「正当性」を強調している。そして、現に本学に在学する学生諸君の目に何が映っているのか、という根元的な事象には一切目をつぶるという、常套手段である。

 そして文書では、あの忌まわしい監禁事件に関する見苦しい弁明へと進む。被害者S君が配布したビラを『その内容がいわれなき学校法人・理事会批判に満ちた責任主体名のないビラ』と評し、『明らかな学則違反の行為に対する学生担当職員らによる指導』であったと主張する。そもそもビラに書かれた北元喜雄前理事長から北元喜朗現理事長への父子の政権交代が、「世襲」以外の何だというのか。前理事長への法外な退職金や直後の理事復帰など、一連の大学私物化の頂点にあるのが、この交代劇であり、即ち世襲であることは内外の広く認めるところである。これを『いわれなき』と強弁できる体質は、驚嘆に値する。

 さらに、S君に対してなされた行為を『指導』と言うに至っては、もはや論ずべき言葉もない。警察OBに「取り調べ」まがいの行為をさせ、トイレにまで職員が張りつき、果ては『学生担当職員』では断じてない北元理事長自らが「放学」という言葉を使って「背後関係」の供述を強いることが『指導』と呼べるのなら、大学に教員は必要ないし、社会に警察は必要ない。法人職員にも、理事長にも、学生に対する懲戒権はない。ここに至って、何らかの処分をちらつかせて供述を強要した事実を糊塗することは絶対にできない。

 佐々木学長は、『指導』の部分に続いて『それが長時間に及んだとしても、一部で故意に言われる「監禁」では決してありません』と述べている。佐々木氏も法学部出身ならご存じであろうが、あえて釈迦に説法を申し上げよう。仮に令状に基づく身柄拘束と取り調べであっても、不当に長時間にわたってこれが行われるなら、そこで得られた供述に証拠能力はない。学生をその本分である講義にも出席させず、7時間半も自由を拘束することが、「監禁」でなくして何なのか。これは社会通念上許されることなのか、この国でこれが許されるというのは、本学理事会のみであろう。

 さらに佐々木氏は言う。『学生を正しい方向に導く使命を負う学校法人がルールに反する行為に対して必要な指導をするのは当然であり、人間形成のための教育活動上の義務であると考えております』。重ねて言おう。教員以外が、学生に対して第一義的に指導を行うことは予定されていない。S君に対して『指導』を行ったすべての者と、これを黙認した当時の学長、学生部長の責任は極めて重大である。『指導』と称して、S君の心にどれほどの傷を残したか、S君の父君にどれほど不快な思いをさせたか、法人理事会は何一つ反省していないことが明らかとなるのである。

 そして佐々木氏は、学生諸君が今回の行動で事前に話し合いを求めなかったことを理由に、彼らを批判している。彼らは、北陸大学を良くしたいと念じている。だが、誰だって監禁されたいとは思わないだろう。S君の事件後も、法人理事会の体質が全く改まっていないことを、学生諸君は気づいていたのである。

 学長文書の後半は、行政指導による改善や、施設などの環境改善について、口先だけの目標をあたかも鋭意努力しているかのような誤解を与える文章で、これまでと同じ手法である。今更論評する必要はないだろう。

 最後に、理事諸賢がこれをお読みなら申し上げたい。あなたがたは、卒業式の学長式辞、理事長告示を聞いていた学生たちから、失笑がもれたことをご存じだろうか。「何ゆえか」と自問していただけたら、せめてもの幸いである。          (一教員より)

 

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★ この論評のもとになった「学長文書」をご覧になりたい方は組合執行委員まで、どうぞ!