北陸大学教職員組合ニュース第133号(1999. 4. 7発行)

 

With6号の欺瞞を衝く

 

真に非難されるべきは誰か?

 法人はその広報誌 With6号で3月5日に判決の出た裁判に関する特集を組んでいる。却下となった裁判をとくとくと論じ、念の入ったことに判決の主文と原告となった教員の名前の一覧表まで掲げて、法人の正当性を主張している。しかし、その主張するところはまったく手前勝手のご都合主義であり、教員との協働関係を確立しようという意図はまったく感じられない。学内の正常化を支援してきた組合として、とうてい容認できるものではない。

  With誌は、裁判を起こした原告団を犯罪人のごとく扱い、その行動を非難している。だが、そもそもなぜ裁判が起こされたのか、原因がどこにあったのかについては、一言も触れていない。また、途中の過程についても肝心なところには一切触れていない。それらを抜きにして結果のみを論じることは裁判の全体像を大きくゆがめることになる。 Withの論は、問題の真の所在を隠蔽し、原告団にのみ咎を負わせようとする悪意に満ちたものである。真に非難されるべきは誰なのか? それは以下に明らかである。

 大学運営に教員の意見が反映されなくなり、教育研究機関としての本来の役割が果たせなくなりつつある――そのような状況に危惧の念を抱いた教員有志が学長・学部長の公選制を求めて、教員の8割弱にあたる136名の署名をつけた要望書を、北元理事長と久野学長に提出したのは、平成8年2月のことだった。これに対して中川専務理事からは真摯に受け止めるとの言葉があり、学長も全学教授会での検討を約束した。そして、実際に全学教授会で予備的審議が少しずつ行われつつあったとき、突然、9月に一方的に衛藤瀋吉氏の次期学長選任が法人理事会より発表された。しかも、多くの教員はマスコミを通じて、自分たちの新しい学長が自分たちが全然知らないうちに決定されたことを知ったのである。全学教授会という、教学の最高議決機関で学長公選に関する話し合いをすすめながら、その裏で実は内密のうちに衛藤氏と交渉し選任を決定するという、北陸大学の歴史に一大汚点となる背信行為を北元理事長および理事会は行ったのである。

 当然、教員らは独断決定の白紙撤回を求めた。しかし、理事会は自分たちの非を一切認めず、“学内での話し合い”には応じなかった。その結果が平成8年12月17日の提訴となった。教員たちは、やむにやまれず裁判という手段に訴えて大学を守ろうとしたのである。理事会が大学人にふさわしい良識をもって事態の収拾をはかっていれば、裁判はまったく必要なかったのである。裁判が起こされた真の原因は法人理事会にある。

 さらに、裁判が2年3ヶ月の長きにわたった原因も理事会にある。

 提訴の2ヶ月後、翌平成9年2月に理事会は衛藤氏の選任を突然撤回した。この経緯についてはいまだに明らかにされていないが、当の衛藤氏が選任撤回を承服していない旨の文書をマスコミ各社に送り、北元理事長を名指しで非難した。これは大きな社会的事件として取り上げられ、北元理事長および理事会が北陸大学の威信を著しく傷つけたのはいまだに記憶に新しい。このとき教員側は、要求していた白紙撤回が行われたからには、今度こそ理事会は教員の声を反映した学長の選任にあたるだろうと期待した。そのようになれば、裁判はすぐに取り下げることができたのである。金沢地裁の当時の担当裁判長も双方へ和解を勧めた。そして、中川専務を含めた理事会代表と、原告を含む教員側有志との間で、和解に向けての話し合いが学内で進められた。

 しかし、理事会は、3月中旬に突然和解交渉打ち切りを宣言し、2週間後の平成9年3月末に新しい学長、学部長を一方的に抜打ちで決定し発表した。それは文部省から行政指導を受け、教学との協働関係の確立を求められた3月18日からまだ2週間もたっていないときの出来事だった。理事会は裁判を早急に終わらせる道を自ら閉ざし、文部省の行政指導をないがしろにして、教員無視の学長、学部長選任を強行したのである。

 その後も法人理事会は、裁判を早く終わらせることはいくらでもできたはずであった。教員の声を反映して学長を選ぶための規程を早急に全学教授会で審議して作り、選挙を実施すればよかったのだから。実際、北元理事長はその方向で協働関係の確立をはかることを平成9年4月のWith Plusで明言している。しかし、それは行われなかった。理事会に選任された佐々木学長が議長であった全学教授会では民主主義の原理が否定され、規程の成立は極限まで引き延ばされた。教員側の結集によって、新しい規程が全学教授会案として採択されたときには平成10年の2月になっていた。ところが、理事会はその全学教授会案を真っ向から否定し、かわりに自らが作った規定案を全学教授会に出してきたのである。全学教授会でのそれまでの一年近くにわたる審議のすべてを無視してのことである。ここで再び理事会は裁判を終わらせる機会を自らつぶしたのである。

 文部省の度重なる行政指導を踏まえて、最終的に規程が作られ、教員による学長選挙が行われたのは、さらに10ヶ月後の平成10年12月12日のことである。提訴後、実に2年が経過している。この間、法人理事会がいかに問題解決への努力を怠ったかは上の通り明らかである。それを棚に上げて原告の教員を非難するのは卑劣な行為である。

さらに、With 誌6号は冒頭部で、本学法人のことを「適法に大学運営にあたってきた学校法人」と書いている。もし、本当にそうなら、なぜ文部省による異例の多項目にわたる行政指導が行われたのか。「フォワード」という会社はいかなる存在だったのか。団交でもその事実を認めた、文部省に対する虚偽報告は「適法に」行われたのか。なぜ、労働基準監督署から指導・勧告を受け、最高数百万円(1人当たり)の超過勤務手当を支払うことになったのか。なぜ、地方労働委員会から和解が勧告されたのか。ぜひ、法人側の主張を聞きたいものである。