北陸大学教職員組合ニュース第135号(1999. 4. 20発行)

 

With誌は北陸大学にとって何なのか?

 

  With誌は学校法人北陸大学の広報誌である。前身の『北陸大学ニュース』の発刊に際しては、発刊の目的が「今一番必要なことは、正しい情報に立脚した相互理解で」あるので、学校法人北陸大学の姿勢や考え方を正しく情報発信する、とうたわれている。Withの発刊の辞は、「現在の姿と将来に向けた姿勢や考え方を正しく職員の皆様にお知らせする広報誌」と自ら規定し、「建設的な相互理解に向け努力しようではありませんか」と呼びかけ、最後には「皆様とともに心を一つにすべく力を合わせ歩んでいきたいと考えています」と結んでいる。キーワードは「正しい情報」と「相互理解」であった。そして、創刊号では衞藤瀋吉新学長の歓迎記事を特集した。しかし、その後の衞藤学長決定撤回については、理事会決議の結果を報じたのみで、理由については「環境が整っていないとの意見が大勢を占め」云々という理事長談話以外は何も明らかにしなかった。衛藤氏が納得せず、学内役職者や報道関係にまで北元理事長批判の書簡を送付したことと、その後の経過については一切広報しなかった。With誌にはすでに創刊当時から、このようなご都合主義が見られ、それは今に始まったことではないが、最近になってますます発行者の見識が疑われるような記事が増えてきた。With6号のあまりにも一方的で浅薄な見解については『組合ニュース』133号ですでに批判したが、8号の第1面の論にいたっては、いったい誰が何のために記事を書いているのかと疑わざるをえない内容である。

 そもそも、6号でも、「訴訟の無意味さと根本的な誤りに怒りさえ禁じ得ません」あるいは「全学教職員を代表して深くお詫び申し上げる」など、主語を明確にしない、まったく無責任な表現が見られた。いったい誰が「全学教職員を代表して深くお詫び申し上げ」ているのか?このような重大な発言をしているのは誰なのかということは当然明確にされるべきであろう。裁判に関しても、論評が理事会の立場からのコメントとして出されるとしても、「相互理解」やそれに基づく将来展望の観点からであれば、もう少し理性的かつ建設的な論評の仕方があったはずである。また、原告団教員の名前の一覧表まで掲げるにいたっては「協働関係の確立」を妨害しようとしているとしか思えない。

 8号の第1面の記事では、「ここに至る議論が唯一の方法論に拘泥し、ここに示した学部長像に到達する他の可能性を模索すること」がなかったので、「いまだに遺憾であると言わざるをえません」と、これも主語の明確でない表現で、学部長の選出方法について論評している。これはいったい誰の見解なのであろうか。この論評が理事会の見解とするなら、それは合意に達した当事者としてまったくの自己矛盾である。

 理事会は数度にわたる理事長声明で「色々心配をかけていることについて遺憾の意を表します」(平成9年10月13日)、「全学教授会を通じて教学の意向を汲み取る努力を続ける方針であり、今後さらに議論が深まり、教学運営の揺るぎない礎となる学長選任方法が確立されることを期待します」(平成10年1月19日)等の意思表明をし、その後学長任用規程と学部長候補者選考規程については、紆余曲折はあったが、関係当局の助言指導の下、全学教授会で苦渋の議論が重ねられ、最終的には平成10年11月10日に一括合意され、理事会にも承認された。ここに至る過程は、『組合ニュース』で指摘したとおり、真の「正常化」を願う教職員組合の視点からは決して満足のいくものではなかったが、曲がりなりにも「選挙」が可能になったことは本学にとって不幸中の幸いと言わねばならない。With誌自身も、常任理事会は「全学教授会教授の一つひとつの意見を真摯に受けとめ常任理事会案とした」とし、学長任用規程については、確かに「学長像」について議論が不足していた旨の主張はあったものの、「現時点における人知を尽くしたものです」(平成10年18号)とさえ、述べていたのである。

 ところがWith8号は、このような当事者双方並びに関係当局の誠意と努力を、本学の歴史から消し去ることのできない「負の遺産」だと言って憚らない。とんでもないことである。理事会がWith8号の記事を許可したこと自体が不可解かつ信じ難いことである。この記事は、With誌を出している当の理事会を含めたすべての関係者の憂慮と努力に対する誹謗であり、とうてい許されるものではない。いったい、何のためのWithなのか。このような記事は北陸大学の前進のために百害あって一利もない。

With誌の主たる記事が、美辞麗句を弄しながらも実態は、創刊の辞にうたわれた使命を遠く逸脱し、理事会と教学あるいは組合との対立をいたずらに煽るだけのものとなっているのであれば、もはやWith誌は不要な存在であると言わねばならない。もともと本学には、規程に基づく広報誌、『学報』と『大学だより』があったはずである。したがって、北陸大学の広報に関しては、法人ニュース用には『学報』を、大学ニュース用には規程に基づく編集委員会による『大学だより』を復活させるべきである。With誌は、大学の規程・規則の重要性をしばしば声高に論じてきたが、With誌そのものが規程を無視して発行されているものであり、自己矛盾の極みである。With誌の存続がどうしても必要なら、教職員に対する法人の方針のみの広報に撤すべきであろう。もちろん、その際も使命にふさわしい信頼性の高い記事が望ましいのは言うまでもない。理事会の再考を促したい。