北陸大学の正常化を目指す教職員有志の会会報第13号(1997.10.31発行)

教職員の皆様へ

 

10月29日全学教授会開催

学長選考規程の「理事会案」示される

 9月20日以降ストップしていた全学教授会が、辞任を申し出ていた構成員10名が復帰して10月29日に開催された。この間の経緯は配付文書などでよく知られたところであるが、10名の構成員が指摘した佐々木学長のこれまでの議事運営のあり方を是正する方向で、その要求を学長が受け入れるというかたちで混乱が収拾された。

 今回の全学教授会の焦点は、文部省の指導による「具体案骨子」に理事会がどのような肉付けをして、「理事会案」を提出するかであるが、それは教授会資料第6として席上発表された。佐々木学長からは、各学部教授会でも討議してもらって、学部の意見も見ながら、全学教授会が主体性を持って成案づくりに邁進する旨の発言があったという。

 しかし、文部省から具体的な指導を受け、「具体案骨子」まで示されながら、学長がその成案をつくるのに主体性を発揮すると言うのは、考えてみればおかしな話しである。

4月からの審議は何だったのか、改めて疑問を抱かざるを得ない。本学は自治を失い、完全に文部省の指導下に入ったとみるべきだろうか。

 有志の会としては、全学教授会の審議状況を見守ることも必要であるが、大学の正常化を目指して発起された会である以上、自分達の意見をどのような形で全学教授会メンバーに伝えるか、学部教授会の意向に反映させるかが大きな課題であると思います。

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世話人会「第2回シンポジウム」の開催を決定する

 10月30日、有志の会世話人は会合を開き、かねてから立案されていた第2回のシンポジウムの開催を決定いたしました。概要は以下の通りです。

 

第2回 北陸大学の正常化を考えるシンポジウム

 日時:平成9年11月15日(土)午後2時〜4時半

 場所:「六華苑」金沢市広岡町2丁目3−10(金沢駅より徒歩10分)

 特別講演:「立命館大学 その活力のヒミツ」

      学校法人立命館 調査企画室長 林 竪太郎 氏(産業社会学部教授)

 

 

論 説

最近の理事長声明について

 平成9年10月13日付けで、職員各位にあてた理事長名義の文書が配付されました。理事長は、4月以降、これまで教員有志から出されてきた度重なる質問には全く答えることなく、理事長不在を思わせる状態が続いていたのですが、ここにきてようやく理事長自身の名義の文書が出されました。しかも今回は、やや具体的な問題に立ち入った説明がなされている点でも、異例のもののように思われます。

 そこで以下では、この文書の内容に慎重な検討を加えた後、さらにいくつかの点について理事長に詳しい説明を求めたいと思います。

 まず、この文書の宛て名が「職員各位」となっている点に注目しなければなりません。これは教員と事務職員とを総称する意味でしょうが、あえて「教職員」という言葉が使われていないという点に、本学に特有の意味づけがあるように思われます。それは、上下関係と役職者を権威づけ、あとはその他の「被雇用者」として一括して扱うという姿勢をあらわすものといってよいでしょう。

 さて、本文の冒頭は、本年4月に佐々木学長を中心とした教学体制がスタートして早や6カ月を経過し、大学運営上も極めて重要な時期に差しかかっていますとし、各位のご苦労に敬意を表し、また色々心配をかけていることについて遺憾の意を表しますとなっており、出だしはきわめて低姿勢な形をとっています。

 しかし、これが4月以来今日までの6カ月間の大学の実状に対する法人の代表による総括かと半ばあきれる思いがします。実際には、理事長と理事会は、3月以来の文部省による行政指導への不誠実な対応と辻褄合わせの事務処理に追われて、何一つ大学正常化のための積極的な施策も方向も打ち出せず、佐々木学長も全学教授会における学長選考規程の改正に終始否定的ないし消極的な対応を示し、多数の委員が抗議して辞任を申し出るという危機的な状況が生じてしまいました。教学の新体制は、大方の予想通り、正常化どころかかえって緊張と矛盾を深めているのです。

 ただ、理事長が職員に対して「色々心配をかけていることについて遺憾の意を表します」と言われるのも、今の体制の下では異例のことでありますが、しかし、何事について心配をかけたのか全く触れることなくただ遺憾の意を表するというのもおかしなことです。理事会が文部省の行政指導を受けた中には、文部省に対する二度にわたる虚偽報告という明らかな「不祥事」も含まれていたのですから、この一事をもってしても、遺憾の意を表するといった間接的な表現は相応しくなく、文部省に提出した「顛末書」の内容を明らかにして、自己批判し責任を明らかにするのが筋というものではないでしょうか。これでは、むしろ文部省の行政指導が遺憾なおせっかいであって、自分には責任がないといわんばかりに受け取られかねません。

 次の段落では、大学が創設以来の歴史の中で、新しい世紀に向けて大きな転換期に直面していますとし、今こそしっかりと過去を省み、現在を確認し、足元を固め、明日に向かって進んで行かなければならないとされています。

 これは、当然のことを述べたにすぎないとも言えますが、これまた本学の現状を前提として見るとき、全く観念的で無内容な作文であって、誰をも説得する力はないといわねばなりません。それは、過去の「何」を省み、現在の「何」を確認し、足元が「何」なのか、明日に向かう目標は「何」なのかをこの文章は何も語っていないからであります。現在の不正常な状態を直視して、その原因を探り、正常化の可能なプロセスをこそ具体的に提起すべきであります。それができないのは、教職員の意見が反映される体制にないからであることは、日々に明らかになってきています。

 前文の最後の段落では、私どもを取り巻く環境は内外ともに決して穏やかならざるものがありますとし、しかし「嵐の中に大道あり」で、いかなる時も大切なのは、謙虚に、誠実に、辛抱強く、力強く、勇気をもって事に処していくことだと思いますとした上で、ここに今から、基本的な考え方・方針を各位に示し、併せて一層の理解と協力を願うものですという形で結ばれています。

 これも、普通の大学の普通の状態の下であれば、そのまま通用するもので、理事会と教学側がともに難関を乗り越えて協力しましょうということになるはずのものです。しかし、それが悲しいかな本学には通用しないところに問題があります。それは、本学には理事会側と教学側との間に協働と信頼関係が全く失われているからであり、そのような異常な状態が事もあろうに現理事長の下で支配的になったというのがまぎれもない事実であります。これは「トップ・ダウン方式」と呼ばれるものですが、学長や学部長の一方的な任命や教員人事権の剥奪など、教授会や教員会が全く無権利状態におかれていることがその最たる実例です。理事会に任命された学長や学部長が、多数の教員の不信任にあうというのは、すでに一つの悲喜劇的な現象であります。

 内外の環境が厳しいことについては、われわれ教職員も十分に自覚しているつもりです。だからこそ、私どもは、文部省にきびしく指摘された指導事項を速やかに、謙虚に、誠実に、勇気をもって実施すべきことを、何よりも理事会と理事長に求めているのです。この当然のことを実行すべきは理事長自身の責任であり、それが法人としてなすべき、教職員や学生および父兄に対する最大の義務であります。この点を棚上げしたままで教職員の協力を求めても、誰も納得しないことは明らかであります。

 さて、この文書は、基本的な考え方・方針と称して、3つの問題を指摘しています。

 最初の項目は、「理事会と教学の協働関係について」であり、そこでは、現在、学長の下、全学教授会において、よりよい関係を築くために鋭意努力を重ねているところですが、さらにその審議が円滑に進むよう、文部省の指導と理解の下、大学審議会答申(「大学運営の円滑化について」平成7年9月)にある「適任者を事前に数名に絞った上での投票」を指針として、理事会と全学教授会とがその役割に応じて具体的成案を得るべく、さらに鋭意検討されることを期待しますとし、全学教授会各位の使命と責任において、今後とも引き続き努力を続け、積極的に事に当たって頂きたいとされています。

 なるほど、これは事態の変化に対応した新しい方針のように見えますが、しかし、とんでもない事実誤認と手続無視と一方的で強引な手法がそこには隠されており、事態を真面目に考えようとする者には到底納得することができません。

 まず第1に、10月13日の時点で、全学教授会が学長の下で理事会と教学の協働関係を築くために鋭意努力を重ねているところですというのは、全くの事実誤認であり、すでに学長の議事運営に抗議した10名の委員が辞任を申し出ているという公知の事実を意図的に隠蔽するものです。この点について、学長は各学部教員会で何らの誠意ある反省を示すことなく、無責任な態度に終始し、今や全学教授会でも学部教員会でも、この学長の下では、協働関係を築くどころか、かえって事態が収拾つかないほど悪化していることがますます明らかになっているのです。理事長は、まず現場に降りてこの事実を確かめるべきであります。

 第2に、学長選考規程の内容について、突如として文部省の指導を前提に大学審議会答申の一部を引用した方針なるものを提示するというやり方には、全く理解し難いものがあります。文部省から学長選考規程の内容についてまで具体的な示唆を受けたという経過が事実であったとしても、これまで6カ月にわたる全学教授会でのこの問題の審議の状況と現在の到達点を前提とした論議でなければ、それこそ全学教授会の主体性と自主性を無視することになってしまうことは明らかです。また、これ幸いと文部省案を指針とするというのも、理事会としてなすべき主体的な責任を果してこなかった恥ずべき姿を暴露したものであり、そこでは本学の独自性の主張がもろくも自己崩壊しています。

 第3に、大学審議会答申から引用されている「適任者を事前に数名に絞った上での投票」の意味について、理事長はこれをどのように理解されているのでしょうか。これは、選考委員会で候補者を事前に数名に絞るという方法として提示されているものであることは確かでありますが、それは「理事会側が適任者を選び、任命する」という方法とは明らかに区別されていますので、選考委員会に教員の代表が加えられることは当然のことであるだけでなく、その教員側の推薦権を制約するものとして理解すべきものではありません。もしもこれが、「理事会側が適任者を絞った上での投票」になると期待されているのであれば、それは再び教員側との協働関係を否定することになり、教員側は投票に参加せず、この制度は機能しないことになるのは必定です。

 ともあれ、このような指針の提示によって直ちに全学教授会の審議が円滑に進行すると考えるのは、理事会や学長の一方的な幻想にすぎません。まずは誠意をもって全学教授会自体の「正常化」に全力を注ぐべきであります。教員の意思を反映させる方向さえ確認されれば、審議は軌道に乗るはずであります。事態の修復に向けて、専務理事や学長だけでなく、理事長も自ら足を運ぶべきであります。

 さて、次の2番目の項目は、「管理運営について」でありますが、ここでは、理事会・評議員会等の構成について、さらに検討を重ね、より適正化を図り、できるだけ速やかに実現する所存ですとし、その他の管理運営についても、基準の客観化、諸規程の整備などを急ぎ、事務組織を現状に即して整備し、かつその機能が充分発揮されるよう留意しながら、適正な運用に努めて行くとされています。

 しかし、この点についても、疑問だらけでとても納得することはできません。

 まず第1に、理事会・評議員会の構成が偏っているということは、理事会等の運営体制の見直しとして、3月時点での文部省の行政指導の最初の項目にあげられていた点であるにもかかわらず、6カ月を経た今日においても、基本的に是正されていないというのは、まことにおかしなことであります。実際には、この点については、5月の段階で一定の手直しがなされ、理事会側はそれで済むものと高をくくっていたようですが、9月になって再度の催促を受け、速やかな是正を迫られたというのが真相のようです。これは、文部省の行政指導をまともに履行せずにすまそうとした当局の甘い判断の現れで、外部には厳しく対処しながら、しかし内部にはきわめて甘いという体質を典型的に露呈したものといわざるを得ません。

 第2に、今後さらに検討を重ねて、より適正化を図り、できるだけ速やかに実現する所存ですといわれても、これまでの経過から見てもその保障があるとはとても思われません。その理由は単純かつ明白であり、理事会も評議員会も理事長を頂点とする現体制に対する批判を許さないように人的構成が固められているというところに由来しています。つまり「イエスマン」しか理事や評議員には選ばれず、批判派は排除されて現体制が出来上がったと見られるからです。理事長がこの体制を基本的に維持しようとされる限り、人を入れ換えても事態は全く変わらず、再度また文部省の指導が繰り返されることになるでしょう。なぜなら、それでは理事会と教学との間の協働関係はいつまで経っても生まれないからです。

 その他の、諸規程の整備とか、事務組織の機能の充実化といった課題も、すべて3月以来の文部省の行政指導の項目に入っていたものですが、この宿題もまだほとんど出来ていないというのも、怠慢そのものといわれても仕方がないところです。いったい理事会は、この6カ月間に、この課題について何をどこまでやったのか、その成果をまず示すべきであります。そうでなければ、今後努力するというのはまた空証文になってしまうおそれがあります。

 最後の項目は、「経理の開示等について」でありますが、ここでは、今後理事会等と教学の協働関係構築が円滑に進むことを前提として、項目等適切な開示の方法を検討し、規程等を整備の上、平成10年度決算から開示する予定であるとされています。

 しかし、これもきわめて唐突で、しかも事務的ともいえる簡単な説明しかなく、なぜこの時期に経理の開示が問題となってきたのか、それが大学の管理運営にどのような意味をもつのかといった肝心の重要な点の指摘が全く欠けており、とても理解し納得することはできません。

 第1に、この経理公開の問題は、普通の大学では当たり前のことですが、本学ではとくに現理事長の体制下で起こったいくつかの疑惑や不祥事を契機として、教職員の側から次第に強く要請されるようになったという経緯があるのですが、法人側はこれまで信頼関係が確立されていないことを理由に頑にこれを拒否し、経理はいっさい公開しないという態度を維持してきたのです。このような経緯、とくに経理の公開を教学側との信頼関係にからませるというやり方をとってきたという点を見逃すことはできません。

 第2に、この経理公開の問題についても、法人は文部省の指導によって、ようやく重い腰を上げざるを得なくなってきているという点を指摘しなければなりません。この問題については、すでに総務庁行政監察局の「高等教育に関する行政監察結果報告書」(平成7年6月)の中に、学校法人が極めて公共性・公益性の高い法人であることから、財務関係の書類を積

極的に公開することが認められるとした上で、文部省に対して、「学校法人の会計処理の透明性を確保する観点から、学生の保護者を含めた関係者に対し財務関係の書類を積極的に公開するよう学校法人を指導すること」が必要であると勧告していたという事実が重要であります。理事長の文書には、その趣旨の片鱗も伺うことができないのは、まことに遺憾であります。

 第3に、この段階になってもまだ、当然なすべき経理公開について、2つの条件をつけているという点に疑問があります。今後理事会と教学の協働関係構築が円滑に進むことを前提としてという点は、これまでと変わりがなく、もしそれが円滑に進まないならば、平成10年度決算からという約束も反故になるおそれがあります。これは、全く順序が逆であって、経理の公開こそが信頼関係を回復するための必須の条件であるというべきであります。また、なぜ平成10年度からの開示なのか理由が不明です。仮に開示の方法の検討や規程の整備が必要であるとしても、それが1年も2年もかかるというのは常識的にも理解できません。必要性と緊急性があると判断すれば、すぐにでも着手することが可能なはずです。内部監査が適正に行われているとし、文部省にも報告しているというのであれば、なぜかくも長い猶予期間が必要なのか、理解に苦しむところです。

 以上、3項目について、理事長の文書の内容を慎重に検討してきましたが、これらは、基本的な考え方・方針といわれながら、その実体は、文部省による度重なる行政指導に対して、これ以上理事会の対応を不問に付したままにすることができなくなり、その指導にしたがって努力しますという意思表示を職員に対して示したというにすぎないものであるといわざるを得ません。文部省の行政指導については、すでに大筋において公知の事実になっており、とくに教職員の間からはすでに数多くの質問や意見が寄せられていたにもかかわらず、理事会は全くこれらの批判を黙殺し、今回の理事長の文書でも、全く無視されています。しかし、今回の理事長の方針なるものも、元を正せば、教員有志による文部省への上申書が取り上げられて行政指導がなされたから出てきたものであり、これがまぎれもない事実であることを理事会は自覚すべきであります。

 今回の方針の提示によって、理事会は曲がりなりにも文部省の行政指導にしたがうという形で、文部省との協働関係を維持できたと考えているのかも知れませんが、しかし理事会の構成の適正化も、学長選考規程の改正も、経理公開も、どれ1つを見ても、教学側との協働関係を前提としなければ進まないという状況は何一つ変わってはいないのです。問題の根は、教職員の意思を反映しこれを尊重するシステムが決定的に欠けており、すでに人間的な触れ合いと意思疎通のレベルにまで不信感が浸透しているというところにあります。そして、今回の理事長の文書にも、この不信感を払拭しようとする姿勢が感じとられないところにこそ悲劇の源があるといわなければなりません。

 理事長は、取り巻きの理事や任命した役職者にではなく、教育と事務の現場にいる一般の教職員および学生と父兄に詳しい事情の説明をし、その責任を明らかにして信任を問うべきであります。

 なお、今回の文書で提示された3項目の方針は、その内容の説明がきわめて不十分で意味不明なところもありますので、さらに具体的で詳細な内容の提示を早急になされるよう、強く要請します。

- おわり -