証 言
 
「学生監禁事件」被害学生による証言(現外国語学部卒業生)
 
 

1994年11月17日から約1週間に私の身に起きた事実

 
 
 11月17日(木)、昨日にひき続き、ビラをまきに朝9時前に外国語棟に行った。数枚教室内で机の上にビラを置き始めたところ、前日から張り込んでいたのか、職員がいきなり入って来て、見つかってしまった。すぐに別の職員も来て、二人に挟まれて法学棟へ連行された。二階にある応接室か何処かに連れられた。
 とっさに、自分が企画して、編集して、コピーして完成させた、この北大日報No.2を、自分はまいただけの役を演じることを考えついた。なぜならば、そうすれば責任が軽くなると考えたからである。
 一つの狭い部屋にほとんど常時二人の職員(ほとんどが管理職)が尋問してきた。またその職員もどんどん入れ代わり、結局合計5、6人に尋問された。
 職員の前の机の上にはわざわざ私の身上書(HP担当者注:正確には身上調書。入学時に学生全員が大学に提出する書類で、実家の住所や家族構成が書かれてある)やが置かれてあり、私にプレッシャーを与えているようであった。しかし、私は、あくまでもこのビラに書かれてあることに賛同し、よって、すすんでまいた、ということを貫き通した。また、「誰が背後にいるんだ?」という質問には「言えない、黙秘権がある」と突っぱねた。
 途中、嘱託(HP担当者注:嘱託職員の意)を名乗るお年寄りには、「私の質問にどう答えるかがあなたにかかっている」と言われた。このような脅し言葉はこの人以外でも何回でも聞かれた。
しかしこのような脅しは、恐くはなかった。なぜなら自分のしたことに自信と誇りを持っていたからである。また民主主義の下で、言論の自由、表現の自由が保障されている事を知っていたからである。しかし、私は、馬鹿だった。刑法第220条[逮捕監禁]を知らなかったのである。トイレに行くときも、職員が付いて来た。トイレから、部屋に戻るのも、一緒だった。昼食は「カフェテリアで一緒に食うか、それともここで食うか」と尋ねられたが、到底みんなの前で彼らと一緒に食事なんかする気にはなれなかったので、部屋の中で食べた。
 尋問中、職員が代わるたびに同じことを繰り返さなければならなかったので、大変だった。その上、やはり相手は年を取っているだけうまいこと、何とかして聞き出してやろうと必死になっているので、慎重に言葉を選ばなければならなかったので、大変疲れた。しかし、私も防戦一方ではなかった。学生からの貴重な金の無駄使いなどについても、どんどん尋ねた。相手が苦笑する場面も度々あった。
 結局、4時過ぎ、私の自信を伴った意地と頑固さに、なすすべなく、「本当だったら放学というところだが、北陸大学のことが好きだということを考えて....」などと、訳のわからないことを言って誓約書を書くことと、親を呼ぶことを条件に何もしないことを言ってきた。もちろん親が来ることには反対した。なぜなら、全く関係ないからである。しかし、親を呼ぶことは後で分かるように罠であったのである。また誓約書も、最初は、「今度このようなことが起こったら、いかなる処置も受け入れます」といった内容だったので、「今度私がこのようなことを起こしたら....」と、修正させた。「放学を心配しただろう」などと勝ち誇ったように言われたが、一応ここでは「私は何も悪いことはしていないし、放学なんか出来るわけがないと思っていた」とは答えずにいた。
 こうして、授業を全く受けさせずに、密室の中で約7時間半延々と続いた、外部に漏れることを恐れた尋問は、終わった。

 11月18日(金)、CAI教室で自習をしていたら、職員がやって来て、昨日の部屋に、連れていかれた。昨日、自分が解放された後に、ビラがエレベータの中に貼られていたらしく、今のところ私しか手掛かりがないという理由だった。昨日あれだけ話しをしたばかりなのに、脱力感を感じた。私はもうしないと誓約書をかいたばかりなのに、誰がやったのかわからない理由で私を犯人としたのである。それも今回のY職員は脅迫をするのであった。「君のためだよ」「君の卒業を笑顔で見届けたい」話しの内容は、低レベルだが、声を荒げて怒鳴ることもあった。くやしさのあまりに泣いてしまった。
 「協力者に電話して、夕食をとりながら、職員としてではなく、一人の男として、一緒に話しをさせてくれ」と言ってきた。そして部屋にあった電話でその人に今、連絡してくれと言われた。精神的にも、まいっていたので、相談したりしていた、一人に電話をすることにした。ただしその前にY職員に誓約書を書かせた。「私は、職員としてではなく、一人の男として、君や君の仲間と話をする。従って君達に不利になることはしない」といった内容だった。そのうえ、その電話機には再ダイヤル機能が付いていることを見逃さなかった。電話はつながらなかったが、受話器を置いた後、再び受話器を取り、別の適当なナンバーを押した。結局、脅しや甘い言葉にだまされることなく約1時間半の尋問は終了した。
 夜、Y職員と二人で食事をした。その場でも、誰が背後にいるか、しつこく尋ねてきたが、その質問には答えなかった。まあ、この職員は、下っ端のほうなので、上から聞き出すよう、命令されていたんだろうけれど、哀れには思いながらも期待には答えなかった。
  
 11月19日(土)、夜7時頃、父が金沢駅に着く。車で迎えに行って、そのまま焼肉屋へ行った。自分がこれまで述べてきたことなど、伝えた。やはり親心もあって、心配をしているようだった。
 
 11月20日(日)、朝9時半に大学へ行った。今日は親と一緒に謝罪をするだけと思っていたが、違った。職員2名がまた事件の事について質問してきた。私の今まで提出してきた書類などを引っぱりだして筆跡を調べたらしく似ていると言いだしてきた。それでも、知らないと言ってたが、父は、法人サイドは、背後を恐れているのであって、ここは素直に認めたほうが良いと判断して、「確かに息子の字に似ているなー」と言った。職員が「さあ、どうなんだ」と言ってきた。否定しようとしたが、父が「大丈夫だから」と言ったので、「自分がやったとしたら、どうなるんですか」と質問した。自分が制作したことがばれたら、罪が重くなり、大変なことになると恐れていたのである。
 その後、父が理事長に謝罪したいと言いだしたので、6階へ行き、ばかでかい机と、椅子のある部屋で理事長を待った。不機嫌そうな顔を装って、入ってきた。「私は君の顔は見たくない」と父の方を見ながら話を続けた。「誰がこんな情報を君に流したんだ」「私は君に怒っている殴りたいくらいだ」「しかし、私は、君にチャンスを与えたい」「誰から情報を得たのか正直に私に話したならば放学にはしない」(HP担当者注:当然のことであるが、理事長といえど、法人側に学生を放学にする権限は存在しない。仮に放学にできるとしても、それは法人ではなく、教授会など教学側の権限である。しかし、それにしても、ビラをまいたくらいで、放学になどできるはずがないだろう)
 恐ろしかった。でかい机をはさんで、理事長含めて5人も対面していた。完璧なセッティングだった。ただ、謝罪するだけかと思っていたのに、法人側は、最後の手段に、理事長を使ったのである。
  
 こうなったら、言うか、大学辞めるかであった。この2つの道しかないようなシナリオを法人サイドは理事長を使うことによって見事に成功させたのである。
 しかし、私は理事長に尋ねた。「もし、言ったら、その人に不利なことになりはしないのですか」理事長は言った。「私はその様なちっぽけな人間ではない。言ったからその人にどうこうではない」私はもう2度同じ質問をした。すると、「さっき、言っただろう。それより君自身の事を心配しなさい。」と剣幕をあげる。横で父も催促する。こうなったら理事長の言うことを信じるしかなかった。
 「O先生にいろいろ話を聞きました、しかし、一度もビラを作るように言われたことはないし、すべて自分の判断で作った。私の恩師であるので絶対不利になるようなことはしないでください。」
私は、そのほかの先生や、学生からも情報を手に入れていた。ただO先生の授業をとっていて、また、韓国へ模擬国連の引率として親しくしていたので、他の人よりは多くの情報を彼から手に入れていたのであった。法人サイドもそれを知っていたのであろう。予想どおりの名前が挙げられて満足そうであった。(HP担当者注:O外国語学部専任講師の名前が出たことにより、理事会は突然同講師を解雇処分に処しました。北陸大学教職員組合は全力を挙げて解雇撤回闘争を展開、この顛末は当HPの組合ニュースに掲載されています。組合ニュース速報第2号以後をご覧下さい)
時計は12時を回っていた。アパートに戻りそのまま車で父を駅に送りに行った。途中、喫茶店で父とコーヒーを飲んだ。「仕事をしていたら、お客に叱られるのは慣れているけれどね。今日のは気分が悪かった」 父に礼を言った。
 
 11月21日(月)、バイト(松雲会館(寮)で皿洗いしている)後、大学から電話があったと寮長に言われた。バイトで疲れた身で、150段位の階段を登って、大学へ行った。Y職員に「またビラが貼られた」と、言われた。「そんなの知るかー」むかついたので言ってやった。また、どのコピー機を使ったのか尋ねられたが、適当に答えてやった。ほんの10分程度のことに呼び出すなんて全くの人権無視である。
 
 11月22日(火)、スペイン語の授業中に職員がやってきて、国際交流センターの局長(HP担当者注:実際には、国際交流センターには局長なる役職は存在しない。国際交流センター長のことか?)のところへ連れて行かされた。ずいぶん待たされてようやく現れた。しばらく私がビラに書いていたことに対して反論していた。しかし、多くの先生が私に言ってくれたように私のビラの内容は99%正しかったので、聞くのも馬鹿らしく、うなずくだけうなずいていた。まったく学生と授業(=教員)を軽視した法人である。
 
 11月24日(木)、放課後、10月後半に行ってきた模擬国連の反省会という名目で、私を含め学生5人が局長に呼ばれた。ここでも私のビラの内容について間違っていることを納得させたいようであった。O先生や私と親しいので、私以外の4人も大学に対して、私と同じ考えをしていると思ったのであろう。しかし、まさにその通りなのである。少しでも社会に対して疑問の目を持っている学生、ほとんどすべての教員、ほとんどすべての管理職ではない職員、心の中ではほとんどの管理職の職員・役員が、大学(経営(法人))に不満を持っている。
 1時間近くの一方的な話しも終わり局長と6人で近くの焼肉屋へ行った。大学からの経費ではなく、局長の自腹であると強調していた。まあ、腹いっぱいに肉を食べさせてもらった。
 
 24日を最後に呼び出されることはなくなった。また、その時までには、逮捕監禁についての知識も身に付けていた。この事件により、精神的にずいぶんダメージを与えられ、しばらく無気力状態が続いた。容疑者の警察での取り調べの辛さがわかった。法律の大切さがわかった。社会の汚い面がわかった。面接の達人になれた。新たに多くの素晴らしい教員と知り合えた。
 
 以上が私の経験した、大学生活での貴重な話である。