証言 ― 平成4年(92年)11月11日(水)の出来事。

 

平成4年4月の法学部新設に伴い、北陸大学のメインキャンパスはそれまでの薬学キャンパスから法学・外国語学部の位置する太陽が丘キャンパスへと移っていた。学部新設に伴う忙しさはあったものの、それから半年以上経っても、事務職員は連日深夜にまで及ぶ忙しさの中で働いていた。かつて、とある学生が配付したビラの中で事務職員のことをハタラキアリと形容していたが、まさにそれがぴったりであった。

 その年最初の入学試験を週末に控えていた、11月11日水曜日。

曜日から察するにその日の部課長会議で話題となったのかもしれない(事務局では毎週水曜日に定例の部課長会議が開かれる)。学生募集の一環として製作された「Be a Victor」と書かれたステッカー。この、小さくて、ちっぽけなステッカーが、そもそもの事の発端であった。

事務職員は以前からそのステッカーを自分の車に貼るように言われていたのだが、ちゃんとそのステッカーが貼ってあるか、近日中にチェックが入るかもしれない、という話が事務局内に広がった。

 案の定、その日の終礼時、いや終礼の直後だったかも知れない。いまからすぐに事務局員全員集合の号令がかかった。ステッカーの件で注意されるに違いない。

 しかし、単に注意されるだけにしては、その日はいつもと違い、やけに物物しい感じであった。車で10分程離れた薬学キャンパスからもわざわざ職員が招集され、また本部事務局も、普段であれば留守番として職員が何人か残されるのが通例なのだが、この日に限ってはアルバイトもしくは臨時職員が留守番として残され、ほとんどすべての正職員が集められた。

 最初のうちは、N専務そしてN常務(当時の役職は定かでないがあまり関係ない)が話していたのだが、そのうちK現理事長が入って来て、ステッカーを貼っていないものがいたら、立つように、と言った。

 何人かの職員がおそるおそるその場に立った。しかし、立ったのは10人もいなかった(その中には、N専務もいた!)。すると、理事長はお見通しだと言わんばかりに、こんなに少ないはずがない。今日の昼に、みんなの車を見に行ったが、貼っていない車がもっと沢山あったはずだ。もし、今日、貼った者がいたら、立つように、と言った。予め自らチェックしていたようであった。

 今度こそ、十数人の職員が立った。皆、昼間流れ出た話を聞いて、すぐに貼りに行っていたのだった。

 K理事長は怒り、今日、貼った者は、まだ貼っていない者よりもなおわけが悪い。何故、貼らなかったのか、1人1人説明し、反省せよ、と迫った。まず最初、N専務が、理由は言えないが、私もまだ貼ってない。申し訳ない、と謝った。すると、K理事長は叱るでもなく、君はもういい、と言って、N専務を座らせた。既にN専務には叱責を済ませていたのかも知れない。しかし、N専務には、理由はいえない、で済ませておき、職員には理由と反省を求めてくるのだった。もちろん、ただの職員が、理由は言えない、などと言ったら、K理事長はさらに怒り狂ったことだろう。

 K理事長は、立ったままの職員1人1人を睨み付け、他の職員全員の前で懺悔させた。もちろん理由を述べただけでは済まされず、悪かった、反省していると言わない限りは決して許されなかった。

 その人たちにとって、それは屈辱以外の何物でもなかっただろう。ステッカー1枚、自家用車に貼らなかったからといって、こんな屈辱を受けるいわれなどない。公用車になら貼ってもよいが、自家用車だから駄目だ、などと言っているわけではない。会社(この場合は大学)のステッカーを社員(この場合は事務職員)の車に貼るよう強要することが、法律的に可能かなどと、言っているわけではない。

 法律的な問題ではなく、人間としての問題である。同じ人間として、年齢や性別を超えて、たとえどんな大義名分があろうとも、たとえどれだけの権力をもっていたとしても、ステッカー1枚貼らなかったからといって、人間の心をそれほどまでに踏みにじってよいものであろうか。

 この件で懺悔させられた職員の心がどれだけ傷ついたかK理事長は考えたことがあるのだろうか。周りで見ていた職員もここまでやるK理事長に対して、恐怖すら覚えたに違いない。なぜそこまでされなければならないのか、という怒りすら覚えたに違いない。中には泣き出す者もいた。その後、この事件をきっかけに辞めていったという職員もいた。

 しかし、その場では、恐くて、誰も、何も言えず、ただ時の過ぎ去るのを待つしかなかった。部課長も、N専務も、誰も、何も言わなかった。部下のことを庇ってくれる上司など1人もいなかった。いくらK理事長がひどいといっても、これまた最低である。誰も部課長のことを信頼している職員などいないだろう。

 K理事長はその時、今、大学にとって一番大事な時期だ。職員が結束して、学生募集に取り組まなければならない、といった趣旨のことを言ったように記憶している。確かにそれはそうかも知れない。学生がいてこその大学だ。しかし、職員も(もちろん教員も)大学という組織の中で重要な役割を担った、大事な構成員のはずである。結束しなければいけないのはもちろんだが、こんな風に強制してまで結束させられるようなものだろうか。強制でもしないと今の理事長の下では結束できないという裏返しだろうか。職員自らが仕事を通じて、自然とそういう気持ちになることこそが大切なのではないだろうか。

 部下へ仕事上の命令をすることは出来ても、人の心の中まで操ることはできない。たとえ、K理事長であっても、たとえどんなに強制されても、人の心まで服従させることは、絶対に出来ない。

今、北陸大学が置かれている状況は決して安閑としていられる状況ではない。しかし、それを理解しているのか、していないのか、K理事長は今でも平然としている。それが、どこに原因があると言うにせよ、責任者として、既に責任を取るべき状況である。辞めざるを得なくなることは、いずれ時間の問題だろう。しかし、本当に心から大学の発展を願っているのならば、責任ある立場の人として、いますぐお辞めになるべきである。そして、周りにいる取巻き連中も、恥を知るべきである。

 

―集会は結局1時間以上続いた。

その何年か後、近いうちに今年も新たなステッカーを配布する予定だ、とのアナウンスはあったものの、以来ステッカーはなくなってしまった。