With 平成10年No.1

1998年2月16日

 

いい話 気になる話のつかみ取り

社会が目まぐるしく変容する中で今、大学のあり方が厳しく問われています。こうした時代にあっては、努めて大学にまつわる様々な情報に接することが必要かと思います。Withでは、本学の存在価値を高めるための参考として、大学のあり方に関する「いい話」、「気になる話」もご紹介して参ります。

大学の存在価値を高めるということは、突き詰めれば如何に主体性を持って運営しているかということに行き着くと思います。大学の主体性は、的を絞って論じにくい難しいテーマですが、個性あふれる大学づくりを考える上では重要なキーワードであると思います。札幌国際大学理事長・学長の和野内崇弘氏は今年1−2月号の「IDE・現代の高等教育」において、大学の主体性と自治について示唆に富んだ一文を寄せておられるので、ご紹介します。

 「教授会の設置については、学校教育法59条に『大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない』と規定され、さらに同施行規則第67条において、学生の入学、退学、転学、留学、体学及び卒業は教授会の議を経て、学長がこれを定める」となっている。これらの規定からは通称いわれるところの“教授会自治”の根拠となるものは見出せない。第59条の“重要な事項を審議する”ことも大学が教育機関であるかぎり、その範囲は教育や研究に限定されると考えられる。学長の権限との関係からいえば、教授会は学長の諮問機関であり、大学なり学部の最高の意志決定機関ではない。したがって学長は教授会決定に従って執行の業務をするものではない。」

 ここで、言わんとするのは、大学の主体性や自治がむしろ学長の主体性や自治に関わるものであり、従来の教授会自治というのは59条の採るところではないということです。学校教育法第58条3項は、学長の地位について、「学長は、校務を掌り、所属職員を統督する」と規定しています。「校務を掌り」の意義は、小学校長の職務権限に関する福岡高裁宮崎支部判決(平成5年)では、学校の包括的な最終責任者としての職務と権限を有する旨の内容となっており、学長も大学において同様の職務と権限を持つことは明らかであります。また、「統督」については、「行政機関の長等が、その所掌のもとにある行政事務を総合的にすべつつ、しめくくること」(法令用語辞典・昭和51年=学陽書房)と解されています。こうした学長の権限の重さと、経営、教学運営の双方に関わる立場を鑑みれば、学長が教授会決定の単なる執行者でないことは明らかであります。

 「私立大学においても横並び志向からか、経営と教学の分離という理論のもとで教授会自治という名の教育現場の主導性が確立してしまい、経営の主体性すら失いかねないところもあった。また、学校法人の理事会との対立において学問や教育の自由があるかのような錯覚に陥った例がないわけではない。これは、大学教育が生産者(教員)の理論で運営され、消費者(学生=学習者)の利益を中心に考えることが少なかったことにもよる。学習者の利益を社会の要請との関係においてどう実現するかという教育中心に重要な問題を審議し、共通理解をしていくのが教授会設置の主旨だと考えるのだが、実質的な教育の問題よりも、それをとりまく学内行政の問題に教授会の関心が向けられたのではないだろうか。」

財源のほとんどを学生の学納金で賄う私立大学においては、健全な経営を図る上で安定した財政計画がなくてはならず、教育・研究費も収支バランスを考慮に入れた全体的な財政計画の中で決めなくてなりません。従って、教学と経営の完全なる分離は、私立大学においてはあり得ません。当然のことながら、学生の存在なくして大学は成り立ちません。このことは、受験生が著しく減少している本学の状況を考えれば、肝に命じておかねばならないことです。社会がどのような人材を求めているのかを常に意識し、社会に役立つ人材育成に努めることが、学生の利益に通じます。こうした努力により、学生にとって魅力ある大学づくりを推し進めれば、おのずと多くの受験生の目も本学に向けられます。今、本学では当面の諸問題に多大なエネルギーを使っていますが、できるだけ早く学生のため、教育研究の充実ヘシフトしなければ、後々に大きな悔いを残すのではないでしょうか。

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